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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)62号 判決 1970年1月22日

原告 波多野信夫

右訴訟代理人弁護士 西村史郎

同 高木廉吉

同 田中茂

被告 国

右代表者法務大臣 小林武治

右指定代理人 岸野祥一

<ほか四名>

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

(原告)

「原告が昭和四〇年三月一日荻窪税務署長に提出した申告書に基づく昭和三九年分贈与税本税残額金一、一〇〇、〇〇〇円および利子税残額金八〇、三〇〇円を納付する義務のないことを確認する。

被告は原告に対し、金五、五六三、七七〇円およびその内金四〇、〇七〇円に対する昭和四〇年三月四日以降、内金一、五〇〇、四〇〇円に対する昭和四一年三月一日以降、内金一、四二一、二〇〇円に対する昭和四二年三月一日以降、内金一、三四一、五〇〇円に対する昭和四三年三月一日以降、内金一、二六〇、六〇〇円に対する昭和四四年三月一日以降各完済にいたるまで金一〇〇円につき一日金二銭の割合による金員を支払え。

納付年月日       納付した本税の額   納付した利子税の額 合計

昭和四〇年 三月 三日 四〇、〇七〇円 四〇、〇七〇円

昭和四一年 二月二八日 一、一〇〇、〇〇〇円 四〇〇、四〇〇円 一、五〇〇、四〇〇円

昭和四二年 二月二八日 一、一〇〇、〇〇〇円 三二一、二〇〇円 一、四二一、二〇〇円

昭和四三年 二月二八日 一、一〇〇、〇〇〇円 二四一、五〇〇円 一、三四一、五〇〇円

昭和四四年 二月二八日 一、一〇〇、〇〇〇円 一六〇、六〇〇円 一、二六〇、六〇〇円

被告は、別紙目録記載の建物につき、東京法務局杉並出張所昭和四〇年五月二〇日受付第一四七七号(ただし、昭和四二年六月八日受付第一九〇五八号をもって昭和四〇年五月二四日受付第一四七七号と更正登記さる。)をもってなされた抵当権設定登記の抹消登記手続をなせ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

(被告)

主文と同旨の判決

第二原告の主張―請求原因

一  原告は山上剛から昭和三九年一二月二〇日別紙目録記載の建物(以下、本件建物ともいう。)の所有権およびその敷地(以下、本件土地ともいう。)の借地権の贈与を受けたとして、昭和四〇年三月一日荻窪税務署長に対し贈与税額を金五、五四〇、〇七〇円とする昭和三九年分贈与税の申告書を提出した後、右税額のうち金五、五〇〇、〇〇〇円について延納の手続をとり、同年五月一四日右延納にかかる本税五、五〇〇、〇〇〇円およびその利子税一、二〇四、〇六〇円合計六、七〇四、〇六〇円を担保するため、本件建物につき抵当権を設定し、その旨、請求の趣旨掲記の登記を経由した。そして、右各税については、次表の明細のように、分割納付し、本税一、一〇〇、〇〇〇円および利子税八〇、三〇〇円を残すだけとなった。

二  しかしながら、原告がなした右贈与税の申告は次の理由により無効である。すなわち、

(一)  原告は耳鼻科の医師で、昭和三二年一〇月六日山上剛の長女良子と結婚式を挙げ、同月一一日その婚姻の届出をしたものであるが、山上は中田亀之丞から賃借して居住中の土地内に原告をして将来、診療所を開設させるため右結婚式の当日、右土地の半分に当る本件土地の借地権およびその地上の建物のうち、本件土地上の部分の所有権を原告および良子の両名に贈与した。そして、原告は勤務のため直ちに妻良子とともに宮城県白石市所在の公立刈田綜合病院に赴いたが、その後、右診療所建設の資金を月々、山上に送金した。一方、山上は原告のため昭和三二年一一月四日殖産住宅相互株式会社との間で建築報酬金二、四一九、〇〇〇円を六ヶ年間の月賦で払込む約定のもとに、本件建物の供給を受ける旨の契約を結んだうえ、原告の送金をもって、右割賦金の支払に充てた。もっとも山上は右契約を自己の名義で締結したが、それは当時、本件土地の借地名義を山上から原告に変更するため地主に支払うべき金銭の準備がなかったからにすぎない。

次で、原告は昭和三六年一二月刈田綜合病院を辞職して出京し、昭和三七年三月本件土地上の旧建物を取毀し、同年六月頃その地上に本件建物の建築を完成し、右土地の無断使用を責められるのを避けながら、右建物所有権の取得に対抗力を与えるため、右建物につき同年七月四日借地名義人たる山上の承諾のもとに同人名義で所有権保存登記手続をなした(山上との間において右建物の所有名義を管理させる趣旨の信託契約をなしたものである。)が、その後、中田から右借地権の譲渡について承諾を得たので、当時税務署に勤務していた親戚の野口昭の税法上の実は誤った教示に従い、右建物について山上の承諾のもとに昭和三九年一二月二一日同人からその前日付で贈与を受けたとして、その旨の所有権移転登記手続をなした(山上との間において右信託契約の合意解除をなして、信託財産たる右建物の返還を受けたにすぎない。)。

(二)  以上によって明らかなように、本件土地の借地権は原告およびその妻良子の両名が昭和三二年中、山上の贈与によって、これを取得したものであり、また本件建物は原告が建築して、その所有権を取得したものであるから、右借地権の取得については、少くとも昭和三九年中において、また右建物所有権の取得については年度を問わず、いずれも贈与税を課せられるいわれがない。

しかるに、原告は、昭和四〇年二月頃荻窪税務署係官から本件建物所有権および借地権の取得について贈与税の申告書を提出すべく勧告され、右権利取得の経緯を説明しても承引されなかったので、右建物について前記のような登記がなされた場合には、もはや贈与税を免れないものと誤信し、その結果、前記のように贈与税の申告をなしたものである。そして、原告がかような錯誤をしたからといって、法律知識の乏しい通常人として、著しく注意を欠いたことにはならないから、右申告は錯誤に基づくものとして無効と解さるべきである。

三  従って、原告はもともと右申告にかかる贈与税の納付義務を負うものではないから、未納付分たる前記金額の本税および利子税の納付義務がないことの確認を求めるほか、被告に対し、既に納付した前記金額の本税および利子税に国税通則法第五八条第一項により、納付の日から還付の日まで金一〇〇円につき一日金二銭の割合による還付加算金を付加して還付を求め、また右贈与税担保のため本件建物についてなした前記抵当権設定登記の抹消登記手続を求めるものである。

第三被告の答弁

一  前掲請求原因の一の事実は認める。二の事実中、原告が耳鼻科の医師で、その主張の日、山上剛の長女良子と婚姻の届出をしたこと、原告が宮城県白石市所在の公立刈田綜合病院に勤務したこと、本件建物につき原告主張の日、山上名義で所有権保存登記がなされ、また原告に対し贈与を原因とする所有権移転登記がなされたこと、原告が贈与税の申告をしたことは認めるが、その余の事実は争う。

二  原告がなした贈与税の申告に原告主張の錯誤がなかったことは次の諸点に徴して明らかである。すなわち、

(一)  荻窪税務署長は、本件建物につき原告主張のように贈与を原因とする所有権移転登記が存するのを知り、昭和三九年分贈与税の申告期限前、原告に出頭を求めたところ、原告はこれに応じて出頭し、同署係官に対し山上剛から本件建物の所有権およびその敷地の借地権の贈与を受けたことを認めて、納税について相談をなし、同係官から猶余制度の説明も受けたうえ、検討に要する期間が経過した後の昭和四〇年三月一日同署係官に本件建物および借地権の評価に供する資料として所在地の略図等を提出し、建物については固定資産税家屋課税台帳記載の評価額金一、〇三一、一〇〇円、借地権については、東京国税局長通達昭和三九年六月二三日付直資第一〇一号「昭和三九年分相続税財産評価基準(通達)」にもとづく荻窪税務署管内の財産評価基準による評価額金一〇、二七六、八〇〇円に基づき課税価額、税額を算定して、納税額が五、五四〇、〇七〇円という極めて高額な贈与税の申告を、なんらの異議なく、行うとともに、右税額につき延納許可を申請し、かつ、これを担保するため本件建物に抵当権を設定することを承諾し、原告主張の抵当権設定登記手続をなしたものである。

(二)  本件建物については山上剛がその建築許可を申請したものであるが、これと符節を合し、原告自認のように山上名義で所有権保存登記が、次で同人から原告に対し贈与を原因とする所有権移転登記がそれぞれ経由された。なお、建物は固定資産税課税台帳上昭和三九年一二月二一日までは山上剛の所有、翌二二日以降は原告の所有として、それぞれ記載され、これに対する固定資産税は右記載の各所有者が負担していた。

また、原告は昭和四三年九月二一日荻窪税務署に提出した「家屋の敷地についてのお尋ね」と題する書面によって本件土地の借地権の始期が昭和三九年であることを自認した。

三  仮に、右納税申告に原告主張の錯誤があったとしても、それは右申告の前記経緯に徴しても原告の重大な過失に基づくものというべきであるから、原告自ら錯誤を理由に右申告の無効を主張することは許されない。

四  また、申告納税制度がとられている贈与税について、錯誤等により税額を過大に申告した場合においては、国税通則法第二三条一項(昭和三九年分贈与税についても適用がある。)により、贈与税の申告書につきその提出期限後一月以内に限り更正の請求が認められる(なお、相続税法第三二条各号に該当する事由により贈与税の申告等にかかる贈与税額が過大となったときは、同条により、右事由が生じたことを知った日の翌日から四月以内に限り右同様の更正の請求が認められる。)が、その趣旨は、申告納税制度が本来民主的かつ能率的な租税行政運営のため自己の所得等を最もよく知る納税者が自主的に行う申告に租税債務確定の効果を認め、これに基づき事後の納付・徴収の手続を進めることを予定したものであるところから、その申告後相当期間を経過した後にいたり、申告の効果が否定されたのでは、申告に基づいて行なわれた事後の手続がすべて覆えり、迅速処理が要請さる税務行政の運営が著しく阻害されひいては申告納税制度の根幹をゆるがす結果となるので、納税申告の是正について、その手続およびこれを許容する期間を法定したものである。

従って、いったんなされた贈与税の申告は、原則として右規定が定めた期間内に、右規定が定めた手続に従ってのみこれを是正することを許され、右手続によらずに民法九五条の規定によってその無効を主張することは申告内容の錯誤が重大かつ客観的に明白で、これを放置するときは、納税義務者の利益を著しく害するにいたるべき特段の事情がある場合に限り、許されるにすぎないが、本件納税申告には、さような特段の事情はないから、右申告を無効であるとする原告の主張は失当である。

第四証拠≪省略≫

理由

一  原告が山上剛から昭和三九年一二月二〇日本件建物の所有権およびその敷地たる本件土地の借地権の贈与を受けたとして、昭和四〇年三月一日荻窪税務署長に対し贈与税額を金五、五四〇、〇七〇円とする昭和三九年分贈与税の申告書を提出したことは当事者間に争いがない。

二  原告は右申告をもって錯誤によってなされたものであって、無効であると主張するので、考察するといわゆる申告納税制度における納税の申告は、私人たる納税義務者の行為であるから、私法上の法律行為に関する錯誤(民法第九五条)等の法理を適用する余地が全くないとはいえないが、制度としては、租税債務を確定させ、これに基づいて租税法律関係が生成、発展するものであるから、右法理の適用によりその効力が左右されたのでは、大量回帰的に発生する国家の租税債権を速かに確定、実現することが不可能に帰するので国税通則法第一九条、第二三条等は、申告の過誤の是正について特別の方法を定めた。従って、納税申告を法律行為についての錯誤の法理によって無効として取扱うには、その錯誤が重大かつ客観的に明白であるにかかわらず、これを是正し得ないとすれば納税義務者の利益を著しく害するにいたるべき特段の事情がある場合でなければならないと解するのが相当である。

これを本件についてみると、≪証拠省略≫によれば、原告は耳鼻科の医師で(ただし、この点は当事者間に争いがない。)、昭和三二年一〇月六日山上剛の長女良子と結婚式を挙げ、同月一一日その婚姻の届出をした(ただし、右届出の事実は当事者間に争いがない。)が、山上は、良子の持参金代りに原告が将来開設する診療所の敷地を供することとし、右挙式当日原告および右良子の両名に対し本件土地の借地権(賃借権)を贈与することを約したこと、そして、原告は勤務のため、直ちに宮城県白石市所在の公立刈田総合病院に赴任した(ただし、この点は当事者間に争いがない。)が、これに先立ち、診療所の建築給付に関し殖産住宅相互株式会社との契約およびその履行を山上に依頼し、その後、同会社に支払うべき建築費を月々、山上に送金し、こえて昭和三六年一二月頃刈田総合病院を辞職して出京し、昭和三七年六月頃本件建物を右会社指定の野沢純一の施工によって建築したこと、一方、山上は原告の依頼に基づき、原告のため右会社と右建物の建築給付に関する契約をなし、原告の送金を右会社に対する契約金の分納に充てたこと、もっとも、山上は右契約を自己の名義で締結したが、それは本件土地の借地名義が山上であったところから、その地主たる中田亀之亟に対する関係を考慮したものであったこと、そのため、原告は右建築完成後、右建物につき同年七月四日山上の承諾のもとに同人名義で所有権保存登記手続をなしたが、昭和三九年一一月頃、中田から借地名義の変更について承諾を得たので、山上の承諾のもとに同年一二月二一日同人から同月二〇日付で贈与を受けたとして、その旨の所有権移転登記手続をなしたこと(ただし、本件建物について右所有権保存登記および所有権移転登記がなされたことは当事者間に争いがない。)が認められ、右認定を覆すに足る証拠はなく、右事実によれば、原告は建築により本件建物の所有権を原始的に取得し、また、遅くとも右建築の完成をみた昭和三七年中には本件土地の借地権を山上の贈与によって取得したものというべきである。

しかるに、≪証拠省略≫によれば、原告は、荻窪税務署長から、本件建物所有権およびその敷地の借地権の取得に関し納税相談に応じる旨の通知を受けて、昭和四〇年二月二〇日頃同税務署に出頭したところ、係官から、右建物についてなされた右登記を根拠に、右建物の所有権およびその敷地たる本件土地の借地権の贈与を受けたものとして昭和三九年分贈与税の申告をなすべきである旨説得されたので、右登記が実際に合致しないことを口頭で一応弁疎したものの、さような登記でも、これを経由した以上、昭和三九年分の贈与税の納付を免れないものと信じたこと、これがため、原告は右弁疎につき、強いて資料を提出することもせず同年三月一日右係官の求めに応じ再び同税務署に出頭して本件建物の固定資産税評価証明書および本件土地の所在を示す略図等を提出し、同係官がこれによって評価した課税価格その他の所定事項を代筆記入した贈与税の申告書に捺印のうえこれを提出して、本件贈与税の申告をなしたものであることが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

そうしてみると、原告は租税法規の解釈を誤ったため本件土地の借地権の取得については少くとも昭和三九年中において、また本件土地の所有権の取得については年度を問わず贈与税を課せられるいわれがないのに、昭和三九年分贈与税を納付すべきものと誤信して、その申告に及んだものであるから、右申告には重大な瑕疵があるというべきであるが、右建物については登記簿上、前記のような所有権の変動が記載されていたため、税務官吏がこれを根拠に納税申告を説得し、これに対し、原告が右登記が実際に符合しないことについては単に口頭で弁疎しただけで、なんら資料を提示しなかったことは前記認定のとおりであるから、かような場合には右申告の瑕疵が客観的に明白であるとはいえない。従って、右申告をもって右瑕疵の故に無効とする原告の主張は、この点において失当というべきである。

三  よって、原告がなした本件納税申告が無効であることを前提とする原告の本訴請求をすべて理由がないものとして、棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 駒田駿太郎 裁判官 小木曽競 藤井勲)

<以下省略>

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